指先でつつかれるとそこから腐る
よく晴れた風の強い休日、街の中には色とりどりの花びらが舞っている。
カーヴェの鼻先をかすめて通り過ぎていった花びらがどこから来たのかと辺りを見回せば、賑やかな市場の奥に着飾った一行の姿が見えた。
中心を歩くのは一際目立つ衣装に身を包んだ若い男女だ。結婚式だ。花婿と花嫁は幸せそうに手を繋ぎ、花びらの雨の中を歩いている。彼らは時折立ち止まってはキスをし、その度に周囲は祝福の言葉を投げかけた。
人を待たせていることを思い出し、カーヴェは待ち合わせ場所へと急いだ。ただし結婚式の邪魔をしないよう、ぐるりと遠回りをして。
たどり着いたプスパカフェのテラス席で一人読書をする見慣れた姿を見つけて、カーヴェは自然と笑みを浮かべた。
後輩のアルハイゼンは休日にも関わらず教令院の制服を身につけている。かくいうカーヴェも装いは彼と同じなのだが、買い物客や観光客に紛れて静かに読書に没頭する姿はそこだけ別世界のようだ。
「遅い」
近付くと、待ち合わせ相手は開いた本からわずかに視線を外して冷たい声でそう言い放った。
最近声変わりをしたアルハイゼンはすっかり大人の男性の声をしていて、背もカーヴェを間もなく抜かしそうだ。けれどあどけなさの残る顔で低く言い放つものだから、声変わり前を知っているカーヴェにはおかしくてたまらない。
「何を笑っているんだ?」
「いや、笑ってなんかないさ。そういう君は不機嫌そうだな。休みの日に無理やり呼び出したから怒ってるのか?」
「怒っていない。誰かさんが遅れて来たことについても想定内だ」
「でも機嫌はよくないだろ」
アルハイゼンは手にしていた本を閉じると、テーブルの上に置かれたままの空になったカップを見つめた。
「君が来るまでに俺は五人の異性から遊びに誘われた」
「五……多いな」
言いながらもカーヴェは口角を上げる。もっと早く来ればよかった。そうしたら面白いものが見れていたかもしれないのに。
「どんな子だ? 可愛かったか?」
カーヴェの問いに、アルハイゼンはあからさまに嫌そうな顔をした。
「容姿は関係ないし、俺にとっては煩わしいだけだよ。それに俺が待っていたのは先輩だ」
「でもその子たちは見る目があるよ。君の美貌を見抜くなんてやるじゃないか」
カーヴェはアルハイゼンの前髪を優しくかき上げる。あらわになった両の目がカーヴェを見つめる。この神秘的で冷ややかな瞳で見つめられて骨抜きにならない年頃の女子などいるのだろうか。
アルハイゼンは鬱陶しそうにカーヴェの手を払い除けた。
「彼女たちは俺の容姿に惹かれているだけだ」
「そう言うなら、人目につくテラス席じゃなくてもよかったろ」
「先輩が来たらすぐにわかると思ってここにいたんだ」
何食わぬ顔でアルハイゼンは告げるが、カーヴェはその答えににっこりと笑った。
「そんなに僕に会いたかったのか。可愛いやつだなっ」
「やめろ」
うりうりと髪が乱れる程に頭を撫でると、背後できゃあと黄色い声が上がるのが聞こえた。
何事かと振り返ると、少し離れたテラス席のテーブルにいる二人組の女性がこちらを見ていた。歳の頃はカーヴェやアルハイゼンと同じくらいで、年頃の娘らしくおしゃれをしていた。二人ともこちらをちらちらと窺いながら、時折何事かを囁いてはくすくすと笑い合っている。
頬杖をつき、アルハイゼンは溜息をついた。
「さっきからずっとそこにいるんだ。見張られているようで気分が悪いが、君を待っていたから立ち去るわけにもいかずに俺はここにいた」
「ふぅん」
カーヴェは少女たちのテーブルにさっと近付き、出来るだけ感じが良く聞こえる声で話しかけた。
「こんにちは、お嬢さんたち。あいつに用があるのかい? 悪いけど今日あいつは僕と約束があるんだ」
そう言ってカーヴェは彼女たちに笑いかけた。
「……で、どうするんだ?」
後ろを確認もせずにアルハイゼンは首を振った。その声はますます低くなっている。
教令院へと続く坂道を並んで歩くカーヴェとアルハイゼンの後ろを、先程の少女たちが一定の距離を保ってついて来ている。
カーヴェは頬を掻く。
「おかしいな、僕断ったんだけどなあ」
「あれは断ったとは言わない」
後輩の機嫌は悪くなっていく一方だ。余程彼女たちが鬱陶しいのだろう。
しかしカーヴェたちが向かっているのは教令院の中にある知恵の殿堂だ。部外者である少女たちは教令院の入口で止められてそれ以上カーヴェたちの後をつけることは不可能になる。出待ちを警戒するにしても、裏口から出てしまえばいいだけだ。そんなに気にすることだろうか。
いつもならば教令院の関係者の往来が絶えない坂道も、休日ともなればその人影の数は少なくなる。だからこそ少女たちが後をついてきているのがはっきりとわかる。この道の先にはもう教令院の正門しかない。
隣を歩くアルハイゼンは無表情だが、不機嫌なのが肌で感じ取れる。
カーヴェは考えた末、ある提案をすることにした。
「女の子が寄り付かなくなるようにしてあげようか?」
「……というのは?」
アルハイゼンはカーヴェを睨み付けるように視線を寄越す。やはりまだ機嫌が悪い。
「目を閉じてごらん」
アルハイゼンは溜息をついたが、すぐに目を閉じた。
カーヴェは周囲に人影がないことをよく確認した後、アルハイゼンの帽子を奪い、少女たちからの視線を遮る角度で帽子を掲げる。
素早くアルハイゼンの鼻の頭にキスをすると、少女たから今日一番の悲鳴が上がった。
カーヴェがちらりと少女たちに意味深な視線をやると、彼女たちは顔を赤らめて硬直した後、ゆっくりと後退し、やがて逃げるように走り去って行った。
「どういうつもりだ?」
帽子の陰でアルハイゼンがカーヴェを睨む。
「どうってことないだろ。あの子たちはこの街の子じゃないし、万が一噂になってもすぐに消えるさ。それに本当にキスしたわけじゃないんだから、別に」
言い終える前に、アルハイゼンはカーヴェの胸ぐらを掴んで唇にキスをした。
「見えなければいい。先輩はそう言いたいのでは?」
カーヴェの手から帽子を奪い返し、元の通りに頭に載せながらアルハイゼンは涼しい顔で言い放った。
少女たちが走り去った方向を見遣るアルハイゼンはすっかり機嫌を治していて、今や完全に感情を掻き乱されていたのはカーヴェの方だった。
「この……っ! 君なんか、知らない!」
カーヴェはアルハイゼンをその場に取り残してずんずんと坂道を登り出す。機嫌が悪くなったふりをすることでしか、この空気を誤魔化す方法を知らなかった。
「くっ」
「何笑ってるんだよ! 言っておくけど、今のはなしだからな!」
「……笑っていない」
「嘘つくな!」
振り向くと、アルハイゼンの前髪に、結婚式で撒かれていたものだろう一枚の小さな花びらが飛んで来て留まるのをカーヴェは目撃した。
しかし当の本人は全く気付かずにカーヴェを見つめている。その様子がおかしくて、カーヴェは後輩の仕打ちすら忘れて笑い転げた。
その間アルハイゼンは不可解そうな顔をしてカーヴェを見つめていた。
「はあ……面白かった。もういいよ、許してあげよう。ほらおいで」
カーヴェが微笑んで手を差し出す。しかしアルハイゼンはカーヴェの顔をまじまじと見つめた後、不意に目を逸らしてカーヴェの横をすり抜けて行った。
「一人で歩ける」
「え? つれないな」
これは困った。笑ったせいでまた機嫌が悪くなってしまった。
年頃の後輩の扱いは思った以上に難しいものだと実感しながら、カーヴェは先を行くアルハイゼンを小走りで追いかけるのだった。