指先でつつかれるとそこから腐る
「君は本当に可愛くないな!」
プスパカフェの一角で嘆きを込めて叩き付けられた言葉に、アルハイゼンは今更眉一つ動かす気にはなれなかった。
「またその話か」
アルハイゼンの反応の薄さが更に癪に障ったのか、カーヴェは一層声を荒げた。
「だってありえないだろ! ちょっと顔を合わせない間にどうして君はそんなに大きくなってしまったんだ? 僕の可愛いアルハイゼンはどこに行ってしまったんだ!」
「君の目の前にいるが」
「僕より大きいくせによく言うよ」
こうなってしまうとカーヴェのこの癇癪は暫くおさまらない。
事の始まりといえば、カーヴェが隣国へ研究旅行へと出掛けている間にアルハイゼンはぐんと背が伸びたことだ。それこそカーヴェの身長をあっさりと抜いてしまい、帰国したカーヴェはそのことが気に入らず、最近では顔を合わせれば二言目にはアルハイゼンを「可愛くない」と評しているのだ。
「声も前より低くなったんじゃないか?」
「そうか? 自分ではよくわからない」
「絶対そうだ……可愛くないな……」
最早口癖と化した言葉を何度も浴びるうちに、その対処方法として彼の機嫌が直るまで待つことが有効だと悟った。特に今回のことはアルハイゼン自身がコントロールできる事態ではないのだ。
テーブルを挟んで向かい合って座るカーヴェは長旅の影響で以前より日に焼けた肌の色をしていた。それにほんの少し小さくなったように感じられる。声の高い低いについてはともかく、アルハイゼンの身体が縦に成長していることは間違いがなかった。
アルハイゼンとカーヴェがむっつりと黙り込んでいると、そこへ給仕係がコーヒーを運んでくる。
「砂糖の入ったコーヒーは彼へ」
アルハイゼンがカーヴェを指すと、給仕係は手際よく彼らの前にカップを置いて去って行った。
二人のカップを満たすコーヒーは同じ色をしていたが、カーヴェのコーヒーだけに砂糖を入れるよう注文したのはアルハイゼンだった。
カップを傾けてコーヒーを味わうと、香ばしい芳香が鼻に抜けた後、口いっぱいに苦みが広がる。
一口味わってカップを置くと、頬杖をついたカーヴェが訝しげな視線をこちらに向けていた。
「何だ?」
「君のコーヒーには砂糖が入ってないのか?」
カーヴェは目敏かった。
嘘をつくことが一瞬頭をよぎったが、答えるよりも早くカーヴェがアルハイゼンのコーヒーを一口飲んで顔をしかめた。
はあ、と溜息を一つ吐き、カーヴェは大袈裟に首を振る。
「背は大きいし、甘くないコーヒーは飲めるようになってるし……すっかり可愛くなくなっちゃったな。コーヒーなんて、この前まではミルクと砂糖をあんなに入れてたじゃないか」
「記憶違いをしているようだが、スプーン二杯はそこまで多いとは思わない」
「甘いコーヒーであることには変わらないだろ。しかし、どうして君はコーヒーを甘くせず飲んでいるんだ?」
「夜中に脚が痛むせいで寝不足なんだ。眠気覚ましが必要だからな」
「え?」
カーヴェの表情がたちまちに曇る。
「……それって大丈夫なのかい? 今も痛むならビマリスタンに連れていこうか?」
「必要ない。ただの成長痛だから平気だ」
「何だ」
成長痛、という言葉を聞いた途端、カーヴェの視線が冷たくなった。
あまりにも態度が変わりすぎではないか。
「可愛くない俺にはもう興味がなくなったか?」
「そ、そんなこと言ってないだろ」
カーヴェは慌てて否定する。だが何度も繰り返し可愛くないと言われてしまうと、カーヴェに気に入られていたのはアルハイゼンの容姿だけだったのではないかと胸の内に不安が生まれる。
「そう何度も可愛くないと言われると、さすがに傷付く」
アルハイゼンのその言葉にカーヴェは気まずそうに口を噤んだ。
カーヴェとの会話が途切れると、途端にカフェのいたるところで行われている歓談や議論の声が耳障りに感じてしまい、アルハイゼンは手元のコーヒーへと視線を落とした。
ふと聞こえたくつくつという音に顔を上げれば、カーヴェがアルハイゼンから顔を背けて笑いを堪えているところだった。
「なぜ笑う?」
「いや、君にも可愛いところが残ってて安心してるんだ」
可愛い。久しぶりの言葉に、そうだろう、とアルハイゼンは心の中で肯定した。
カーヴェがアルハイゼンを可愛くないと言うのは、急に身長を追い越された事実を受け入れられずにいるからだ。
彼の目に映るアルハイゼンは背の低い可愛い子供のままなのだろう。
いつか可愛くないという口癖をやめた時、カーヴェがアルハイゼンのコーヒーを飲むことを少しでも躊躇ってくれたらいいのにと、彼の唇が触れたカップの縁を指でそっとなぞりながらアルハイゼンは願った。