しるし

 近頃、カーヴェはアルハイゼンの手に執着している。ふとした時に視線を感じて目をやると、彼は大抵アルハイゼンの手をじっと見つめているのだ。
 向かい合って食事をしている時やアルハイゼンが読書をしている時、あるいはベッドで行為を終えた後など、機会さえあればカーヴェはアルハイゼンの手を観察し、時には指の造形を確認するかのように手に取ってためつすがめつ眺めるのだ。そんなことがかれこれ二週間程続いている。
 ある朝、コーヒーを飲もうとしていた左手をカーヴェに掴まれ、アルハイゼンはさすがに抗議の声を上げた。
「いい加減にしろ。なぜ君はそんなに俺の手が気になるんだ?」
 振り払った手を背に庇うと、カーヴェは「いや」と気まずそうにアルハイゼンから目を逸らした。
「わかった、もうしないから」
 それを聞いてアルハイゼンは少しばかりの安堵を覚えた。カーヴェから触れられるのは喜ぶべき行為なのは間違いないが、顔を合わせている間のほとんどの時間を手を観察することに使われるのは不本意だ。
 それに最近のカーヴェは会話の返事もおざなりで、アルハイゼンの挑発にも気のない相槌を打っては「聞いてなかった」などとのたまうのだ。
「大体わかったからもういい」
「何?」
 どういう意味かを問う前に、カーヴェは急かされるように玄関から出て行ってしまった。

「アルハイゼン、君に渡したいものがあるんだ」
 カーヴェがアルハイゼンの手を見つめなくなって一週間が経った日の夜、満面の笑みを浮かべたカーヴェがあるものを差し出してきた。
 その手の平の上にはごく小さな箱が乗っている。誰がどう見ても指輪が入っているとしか思えない箱の蓋をカーヴェが開くと、銀色の指輪が一つ、行儀よくすました姿で収まっていた。
「ああ、なるほどな」
 それを見てすべてが頭の中で繋がる。
「君は俺の指のサイズを探っていたのか。面倒なことをしていたな」
「君の指輪を一つ拝借できたらすぐに済んだんだけどな。部屋のわかりやすい所に置いておいてくれればよかったのに」
「指輪か。式典用にいくつか持っていたとは思うが、そういえば暫く見ていないな」
……今度君のベッドの下を見てみる必要がありそうだな」
 そう言ってカーヴェはアルハイゼンの左手の中指に新品の指輪を嵌めた。
 銀色の指輪に石はなく、代わりに表面に精緻な模様がうっすらと彫られている。アルハイゼンが身に着けることを想定して選んだらしく、それは初めからアルハイゼンの指に嵌まっていたかのように馴染んでいた。
「よかった、ぴったりみたいだな。最近仕事で知り合ったジュエリーデザイナーに頼んで作ってもらったんだ」
「そうか」
 暫く鑑賞した後、アルハイゼンは中指から指輪を抜き取った。
「なっ」
 案の定、カーヴェが言葉を失う。
「君ってやつは……! 気に入らなかったとしても渡してすぐ外すのはよせよ! せめて僕の見えない所でやってくれ!」
「何を言っている」
 喧しく吠えるカーヴェは勘違いをしている。
 アルハイゼンは中指から外した指輪を見つめる。先程は気付かなかったが、よく見れば内側には曲面に沿うように菱形に整形された宝石が等間隔で飾られていた。その宝石の色はカーヴェの瞳を思わせる赤だ。
 突然の贈り物には理由がある。それに思い当たったアルハイゼンは密かに胸を熱くした。
「カーヴェ、君が俺につけさせたいのはここだろう?」
 そう言って隣の薬指に指輪を嵌める。
「あ、えっと、僕は……き、君の好きにすればいいだろ……!」
「そうしよう」
 みるみるうちに顔を赤く染めたカーヴェを抱き寄せると、腕の中からは「君ってやつは、恥ずかしいんだよ」と弱々しい抗議の声が聞こえた。 
「ところで、君の指輪は?」
「ああ」
 カーヴェは気まずそうに頬を掻いた。
「まあ、概ね君の予想通りさ」
「そうか……
 そんなことだろうとは思っていたが、これでカーヴェにも指輪を贈る口実ができた。
 どんな指輪を贈ろうか。カーヴェのことだ、アルハイゼンが選んでしまうとこんなデザインのアクセサリーはつけたくないと文句を言うかもしれないから、表は彼好みのデザインにするのが正解だろう。では、内側にはアルハイゼンの名でも刻もうか。
 赤い石も名前も、他人から見える必要などない。アルハイゼンとカーヴェだけが知っていればいいのだ。
 アルハイゼンはカーヴェを抱き締めたまま、左手を静かに掲げて薬指で光を反射する指輪を見つめた。
 カーヴェのものだという密かな印を付けられるのは、悪くない気分だった。